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名古屋高等裁判所 昭和54年(う)150号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人五名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人澤田隆義、同杉浦酉太郎、同小林健治、同杉浦肇共同作成名義の控訴趣意書及び補充控訴趣旨書並びに同小林健治作成名義の控訴趣意書及び控訴趣意補充書(訂正)にそれぞれ記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官浅田昌巳作成名義の答弁書に、記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用するが、右各控訴趣意の要旨は以下に掲記するとおりである。

第一弁護人澤田隆義、同杉浦酉太郎、同小林健治、同杉浦肇共同作成名義の控訴趣意書第一点(ただし、序論本論部分を含む。)、同補充控訴趣意書第一点(ただし、二の1の(四)の(5)のイを除く。)各記載の論旨(事実誤認及び法令の適用の誤り)について

一所論は、多岐にわたるが、これを要約すれば以下のとおりである。すなわち、原判決は、被告人須ケ間宣雄、同船坂光雄、同田中廣之、同近藤正喜が原判示のとおり業務上必要な注意を怠り、被告人日本アエロジル株式会社(以下「被告会社」という。)四日市工場(以下「本件工場」という。)における事業活動に伴つて人の健康を害する物質である塩素ガスを排出し、これによつて公衆の生命、身体に危険を生じさせ、よつて原判示住民等四四名に対して各傷害を負わせたものであるとの事実を認定し、被告人須ケ間、同船坂、同田中、同近藤に対し、人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下「公害罪法」という。)三条二項を、また被告会社に対しては同法四条を各適用し、有罪の言渡しをした。しかしながら、右塩素ガスは、四日市工場における事業活動に伴つて排出したのではなくアエロジル製造工程の事業活動の準備段階である液体塩素(以下「液塩」という。)受入れ作業終了時に二号タンクより偶発的事故により漏出したもので、しかも漏出したものは、アエロジル製造の原材料である液塩ないし塩素ガスであつて、廃棄物ではない。しかも正規の排出施設より排出したものでもない。従つて、本件は公害罪法三条にいう事業活動に伴つて排出したものということが出来ないのであるから、原判決の右事実認定の終論及び右結論に至る関連事実の認定には誤認があり、かつ公害罪法の解釈適用を誤つたものである。これをふ延するに、

1本件事故において漏出した塩素ガスは正規の排出施設より排出したものではないから、このような漏出は同法三条等の排出には該当しないと解すべきである。すなわち、公害罪法は、昭和四五年一二月衆議院、参議院の各本会議において、一括可決された公害関連一四法令の一つであり、右国会審議中、公害罪法三条等の「排出」の概念は、他の公害関連法令中に使用されている「排出」の概念と別異に解すべきであるとの議論は全くなされていなかつたのであつて、右排出の概念が、公害関連の各法毎に異なるとすれば、その概念を明確にしない限り、法的安定を害し、国民に知らしめずして処罰するという重大な結果を引き起こすことになる。そして、右公害関連法令の一つである大気汚染防止法二条、三条にいわゆる排出とは、工場及び事業場に設置されたばい煙発生施設において発生したばい煙等を排出口(ばい煙発生施設において発生するばい煙を大気中に排出するために設けられた煙筒その他の施設の開口部をいう。)から大気中に放出することである。従つて、右排出口以外の箇所よりばい煙が大気中に放出された場合は、右「排出」ではない。(同法二条五項において排出と飛散を区別していることがこれを裏付けている。また、これと類似する漏れ出し、流出、投棄、放出等も排出とは異なると解すべきである。)なお、原判決は、T・C・A、シール・ポットは、何れも排出口であると認定しているが、T・C・Aは、大気汚染防止法二条二項に明らかなように、「工場又は事業場に設置された施設でばい煙を発生し、及び排出するもののうち、その施設から排出されるばい煙が大気の汚染の原因となるもの」で、政令で定められたばい煙発生施設として届出を義務付けられて使用を許容されたばい煙発生施設の開口部には該当せず、従つて排出口ではない。また、原判決はシール・ポットがドレンの排出設備であるというが、水質汚濁防止法の特定施設でもなく、またシール・ポットより公共用水域へ排出する構造にはなつていないのであつて、右は明らかに事実誤認である。

2公害罪法は、その制定の経緯からみても、工場又は事業場における事業活動に伴いある程度継続して、人の健康に被害を生ぜしめる物質を排出することが要件とされているから、本件のような、バルブの誤操作による塩素の漏出といつた突発的偶発的事故は、同法三条等における事業活動に伴つた有害物質の排出には該当しない。

3右塩素ガスの漏出は、同工場の事業活動であるアエロジル製造工程の準備段階である液塩受入れ作業の終了時に、突発的偶発的事故により発生したものであるところ、「工場又は事業場における事業活動に伴う有害物質の排出」とは、ばい煙等の発生を伴う事業活動を行うことに随伴して発生する排出であつて、右事業活動とは、本件工場においては、アエロジル製造工程を意味するから、アエロジル製造の準備工程である液塩受入れ作業は、右事業活動には該当せず、従つて、右塩素ガスは、本件工場の事業活動に伴つて排出したものではない。

4公害罪法は、有害不要物のたれ流しの規制を念頭において作られた法律であるところ、右の漏出した塩素ガスは、アエロジル製造の原料であつて廃棄物ではないから同法三条等の人の健康を害する物質にはあたらない。

5公害罪法三条二項を適用するためには、同条一項の公衆の生命又は身体に危険を生ぜしめたことを必要条件とするところ、原判決は、人の生命、身体に対し猛毒性を有する多量の塩素ガスを約三時間にわたつて、大気中に放出し住民等の身体に危険を生ぜしめたと認定したが、その証拠は不十分である。

以上のとおり、公害罪法立法の経過にかんがみ、また他の公害関係諸法との対比において考察すると、本件塩素ガスの放出は、本件工場のアエロジル製造工程に随伴して正規の排出施設より廃棄物を排出して公衆の身体等に危険を生ぜしめた場合と認めることはできないから、右のいずれの点においても同法三条二項に該当しない。従つて、原判決には前叙のような数々の事実の誤認があり、ひいては公害罪法の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

二所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によれば、おおむね次の事実が認められる。

1被告会社は、分散性顔料等化学製品の製造販売を事業目的とする株式会社で、肩書所在地に本店を有し、三重県四日市市三田町三番地所在の本件工場を有するが、本件工場は、主にシリコンゴムやプラスチック等の添加剤であるアエロジルを、副産物として次亜塩素酸ソーダを各製造し、本件事故のあつた昭和四九年四月三〇日当時の従業員は、七四名で、これらは事務課、製造課、工務課、安全環境課、建設室の四課一室に分かれ、右二製品の製造及びこれに関連する事項は工場長、技術次長の下で製造課(従業員四〇名)が担当していたもので、右製造課は課長である被告人須ケ間宣雄(以下「被告人須ケ間」という。)の統率の下に被告人船坂光雄(以下「被告人船坂」という。)外五名の係員、班長一名及び一般技術員六名で構成する三交替制の四つの交替班(班長四名の内二名は係員が兼任)があり、この外昼間勤務の技術班と分折係によつて構成される。右三交替制四班は、それぞれ、本件工場のA棟、B棟、C棟、共通、中和の各プラント運転作業及びその関連作業を担当し、技術班は、液塩の受入れ、次亜塩素酸ソーダの出荷、塩素室の点検、ホーク・リフトの点検等を担当し、分折係は製品等の分折を担当しており、本件事故当時製造課長であつた被告人須ケ間は技術次長の指揮、監督を受けて製造課の業務を掌理し、係員以下の同課所属従業員を指揮、監督する職務に従事し、各係員は設備毎に担当職務が定められて、その範囲において班長以下の従業員を指揮、監督し、各班長はその班に所属する一般技術員を指揮、監督して前記製造課担当職務の遂行にあたり、とくに被告人船坂は、昭和四九年四月一日以降係員としてA、B棟及び共通の各プラント及び技術班を担当していた。なお、本件工場は、アエロジル製造の原料として、液塩を貯蔵し、高圧の塩素ガスを製造する設備を有することから、高圧ガス取締法の適用を受け、同法による第一種製造業者に指定されており、同法に基づき高圧ガス危害予防規程(液塩関係)を定め、工場保安管理組織を設けており、同法に基づく高圧ガス作業主任者及び同規程による保安管理班長には技術次長が当り、製造課長である被告人須ケ間は保安管理員であると同時に、右作業主任者兼保安管理班長である技術次長を補佐しかつ事実上この職務を代行して他の保安管理員を指揮し、液塩の受入れ取扱いに関する保安管理、保安安全教育の実施業務を遂行する職責を有していた。また被告人船坂は前記技術班を担当して同班所属の技術員を直接指揮、監督し、また右規程上の保安管理員として、液塩の受入れ取扱いに関する保安管理、保安安全教育の実施業務を遂行する職責を有していた。

2本件工場は、A棟において二酸化珪素すなわちアエロジルを製造しているが、その原料である四塩化珪素は、これを外部から購入する外、同工場の塩素室に設置された液塩貯蔵タンクに受入れ貯蔵している液塩を気化器に導いて気化し、その塩素ガスをB棟の塩酸合成設備に送つて塩酸を合成し、さらにこれをガス化してC棟の塩化炉において珪素合金に作用させ製造している。

3本件事故当時液塩貯蔵のため使用されていた二号塩素タンク(以下「二号タンク」という。)上には、同タンクの圧力計を中心にしてその周辺にほぼ同形、同色の五個のバルブ・ハンドル即ち同タンクの受入口に設置され液塩受入れパイプに連結する「受入バルブ」(この外同受入パイプの最先端にも受入れバルブがあるが、以下単に「受入バルブ」というときは、二号タンクの受入れバルブを指すものとする。)、同タンクの内圧を下げるために使用する「ガス抜きバルブ」、塩酸合成のために液塩を気化器に送り出すときに使用する「液塩使用バルブ」、同タンク内の残留塩素ガスを放出するために使用する「タンク内ガス・パージ・バルブ」、及び液塩受入れ作業終了時に液塩受入れパイプ内から残留液塩または塩素ガスを除去するために使用する「パージ・バルブ」(以下単に「バージ・バルブ」というときは、これを指すこととする。)の各バルブ・ハンドルが集中した状態で、高さもほぼ等しく、互いに近接して併置されており、各バルブ軸下方には、一応名称札が取り付けられてはいたものの、何れも小さく、汚れていて、一見して見易いものではなかつた。

4液塩輸送のタンクローリーまたは貨物自動車(以下「タンクローリー」という。)より液塩を受け入れるための受入れパイプは、二号タンク上の受入れバルブを経由して同タンク内に入る一方、前記パージ・バルブを介してパージ・パイプに連結され、右パージ・パイプは、塩素室外南側で、一、二号タンク、気化器、レシーバー・タンクの各安全弁から導かれている各パイプと合流して一本の太いパイプ(パージ・ライン)となり、シール・ポット、回収塔に通じていた。なお、二号タンクの安全弁吹き出し圧力は、当時一平方センチメートル当り一八キログラム強(以下この単位を「キロ」と略称する。)、気化器及びレシーバー・タンクの各安全弁のそれはともに約15.6キロであつた。

5右パージ・ラインは、B棟に導かれて、右シール・ポット上部において、垂直の配管に丁字型に連結され、下方はシール・ポットに至り、また上方は、アエロジル製造工程から生じる余剰塩酸ガスを回収する機能を持つ回収塔を経て、なお残留する塩素分を中和し無害化する機能を持つ二基の中和塔に連なつている。さらに、中和塔を経由した廃ガスは、ダンパーを通つてT・C・Aに至り、更に完全な中和処理が施された後排突部から大気中に排出される。

6シール・ポットは、硬質塩化ビニール製の円筒形容器(直径約五〇センチメートル、高さ約八〇センチメートル)で常に水で満たされており、高さ六二センチメートルの位置の側面に取り付けられた排水口からあふれた水が排水溝に導かれるようになつている。右装置は、プラント内の負圧を調整する機能を有するとともに、アエロジル製造工程から排出されたガス中の塩酸ガスが水滴に溶けて配管内に付着したいわゆるドレンを流下させて、右円筒内に満たされた水で稀釈し、排水溝を経て排水中和施設へ導き、中和処理を施した上で工場外に排水し、もつて配管の腐蝕を防ぐ機能を併え持つている。そして、前記塩素室から、パージ・ラインを経て流れて来る塩素ガスも極く微量ながら、シール・ポット内の水に溶解し、前記のように排水溝に導かれる。

7本件工場における液塩受入れの方法は、液塩を輸送してきたタンクローリー側の二本の導管と工場側の高圧空気パイプ及び液塩受入れパイプを接続し、工場側の高圧空気パイプから高圧乾燥空気をタンクローリー側に送り込んで、その圧力により液塩を同受入れパイプを通じて二号タンク内に受け入れるものであるが、液塩受入れ作業開始後は、二号タンク内圧力がタンクローリー側の圧力より低圧を保つように注意し、液塩受入れ作業が終了するときは、タンクローリーの接続導管側の二個のバルブが閉められたのを確認して、直ちに二号タンク上の受入れバルブ及び同受入れパイプの最先端にある受入れバルブを閉め、さらに右二個のバルブの中間にある数個のバルブをすべて閉めた後、同受入れパイプのパージ・バルブ及び右中間の各バルブを開けて右パイプ内の残留塩素をパージ・ラインに放出し、最後にパージ・バルブ及び右パイプ内の全バルブを閉めて液塩受入れ作業は終了することになる。

8昭和四九年四月三〇日午後一時三〇分頃技術班所属の技術員羽多野正治が被告人近藤正喜(以下「被告人近藤」という。)を伴い同人の実習を兼ねて液塩受入れ作業を開始し、同日午後三時二〇分頃、羽多野正治から引継ぎを受けた熟練技術員である被告人田中廣之(以下「被告人田中」という。)が同作業の終了手順に入つたが、その際同田中が高圧空気パイプの各バルブ及び液塩受入れパイプの最先端の受入れバルブを閉めている時に、被告人近藤が、被告人田中の承認を得て、二号タンク上の受入れバルブを閉めようとして、バルブを取り違え、これに隣接する受入れパイプのパージ・バルブを開放した結果右二個のバルブを同時に開の状態に置きながら、右誤操作に気が付かなかつたため、二号タンク内の液塩を右パージ・バルブを経由してパージ・ラインに放出させ、よつて、同時刻頃から、同日午後六時二〇分頃までの間、塩素ガスを、シール・ポットから合計約三七四キログラム、また中和塔T・C・Aから同約八五キログラムを大気中に排出させ、よつて、原判示のとおり、同工場塩素室付近で作業中のタンクローリー運転手ら二名に各傷害を負わせ、かつ東南東ないし南東の風に乗つて四日市市南西部一帯に拡散した右塩素ガスにより同地域の住民等の身体に危険を生じさせて右住民等四四名に対して塩素ガスと接触したことに因るものと認められる各傷害を負わせた。

以上の事実が認められ、右範囲の認定に関する限りとくにこれを左右するに足る証拠はない。

三そこで、右認定の事実に基づき、所論の主要な論点について検討を加えることにする。

(1)  「排出」の概念について

「排出」という文辞は、公害罪法のみならず、大気汚染防止法、水質汚濁防止法等一連の公害関係法令にも存するところ、公害罪法以外の公害関係法令においては、特別な概念規定の存する海洋汚染防止法を別にすれば、おおむね当該事業場等の事業活動において予定されている経路、態様における有害物質の排出を指す場合に用いられていること(ただし、大気汚染防止法においては、ばい煙発生施設におけるばい煙の排出に関するいくつかの条項において、「排出口から大気中に排出される」等と限定的に規定されているのに対して、同法一七条においては、ばい煙発生施設以外の有害物質を発生する「特定施設」における事故に基づく特定物質の「排出」について、右のような限定なしに「排出」と規定していることからみると、同法においても本来の「排出」という概念は、「排出口からの排出」よりも広い概念であると考えられる。)及び公害罪法においても、その成立、立法の当初において右排出等について所論のような解釈が行われていたことは所論の指摘するとおりであるが、ひるがえつて考えると、これらの関連法令、例えば本件と最も関係の深いと思われる大気汚染防止法においては「工場及び事業場における事業活動に伴つて発生するばい煙の排出を規制」するなどして、大気の汚染に関し、国民の健康を保護するとともに生活環境を保全する等のために、工場等の設備、事業活動の態様等に対する行政的規制、いわば事前的規制をすることを主目的としている関係上、規制の対象であるばい煙の「排出」は、排出口からの排出に限定される必然性を有しているのに対し、公害罪法の目的とするところは、工場等の事業活動に伴つて人々の生活圏に排出される有害物質により、広範囲にわたつて、生活環境が汚染され、一般住民等の生命、身体に対する危険な状態を生じあるいは現実の被害が発生した場合において、これを刑事犯的なものとしてとらえ、大気汚染防止法等における排出基準違反に対する処罰とは別に、加害者である事業者等の責任を事後的に追及処罰することにより、「公害防止に関する他の法令に基づく規制と相まつて人の健康に係る公害の防止に資することを目的」としている(公害罪法一条)のであつて、同じ公害防止に関する法令といつても、右大気汚染防止法とは、その目的、役割を異にしているところ、公害罪法の規定を見ると、その他の関連法規と同じく排出という文辞は用いているけれども、それが「排出口からの排出」であるという文辞、あるいはこれを推測せしめるような文辞は一切用いていない。このような公害罪法において、「排出」の概念を大気汚染防止法と同様に排出口からの排出に限定して解しなければならないという根拠は、所論のいわゆるほかの公害関連法規のなかの同文辞との同一解釈という以外に見出し難い。言うまでもなく、関連法規中の同一用語の統一解釈という要請を軽視することはできないが、公害罪法における前示の立法趣旨、あるいは現時の社会情勢を踏まえて真摯に考えれば、公害罪法に規定する「排出」の意義につき、これを所論のような特段の制限、限定を加えて解釈しなければならないという根拠に乏しく、その本来の規定の文義に従い、制限限定を加えずに、ありのままに解釈するのが相当である。またかく解することが拡張解釈に属するとは到底考えられない。そして、前記二の1乃至8において認定した経過経緯から考察すれば、本件工場のT・C・A及びシール・ポットから大量の塩素ガスを大気中に放出させた本件行為が、公害罪法三条の「排出」に該当することは自ら明らかである。従つて、所論の右主張は、T・C・A及びシール・ポットが所論指摘の排出口であるか否かの点を判断するまでもなく、採用することができない。

(2)  有害物質の性質及び排出の継続性について

所論は、公害罪法三条等が、有害な「廃棄物」のしかも継続的な排出をその構成要件としているから、廃棄物でない塩素ガスをしかも短時間に排出した本件は、この点でも同法三条には該当しない旨主張するが、同法三条等が有害物質及び排出について所論の如き限定を付していないこと及び前記のとおり同法三条が偶発事故型の公害を排除しているとは解されないこと等を総合し、前記(1)の項で説示した理念を根底にして考えると、廃棄物以外の有害物質を排出した場合あるいは短時間のうちに大量の有害物質を排出した場合を同法三条による処罰の対象から除外する理由を見出すことはできない。

(3)  「事業活動に伴つて」の意義について

所論は、本件液塩受入れ作業は、公害罪法三条等の「工場又は事業場における事業活動」に該当せず、従つて、本件塩素ガスは本件工場の事業活動に伴つて排出したものではないというが、同条等の「事業活動」には、工場等の主たる事業活動のみならず、これに付随する活動も含まれると解すべきことは原判決の正当に指摘するとおりであるから、前記認定によれば本件工場の主たる事業活動であるアエロジル製造工程の準備工程の一部であると認められる液塩受入れ作業も右事業活動に該当し、従つて、前記認定のとおり、本件工場における液塩受入れ作業の過程において、バルブの誤操作を原因として排出した塩素ガスは、同工場の事業活動に伴つて排出したものということができる。

(4)  四日市市住民等に対する危険の発生について

所論は、公衆の生命、身体に危険を生じさせたことが、公害罪法三条等の必要条件であるのに、本件においては危険の発生につきその証拠が不十分であるというが、前記のとおり、同法三条等の対象は、予定された経路、態様の公害に限定されず、いわゆる事故型公害が除外されないと解され、右三の(2)記載のとおり有害物質の「継続的」排出は、同条等の構成要件と解されない以上、同条等の危険の概念についても、排出口からの長期にわたる排出により危険を発生させることが必要であると解すべき理由はなく、短時間の排出により発生した危険もこれに含まれると解すべきであるところ、前記認定のとおり、本件事故により、本件工場より排出された塩素ガスは、東南東ないし南東の風に乗つて四日市市南西部一帯に拡散したこと、及び少なくとも原判示四四名の住民等に対し塩素ガスとの接触に因るものと認められる各傷害を負わせたことが認められ、また、記録を精査しても、当時本件工場以外にその周辺において多量の塩素ガスを排出した工場等は認められないこと等本件当時の状況を総合すると、本件塩素ガスの排出によつて四日市市南西部一帯の住民等の身体に危険を生じさせたことは明らかである。

以上のような観点に立つて原判決を調べると、原判決中弁護人の主張に対する判断の項のうち公害罪法の解釈に関する部分及び罪となるべき事実の項のうち公害罪法を適用した部分についての記載は、結論において当裁判所の前記判断とほぼ同様の見解であり、また右結論に至る過程において、原判決が認定した関連事実の認定につき、とくに誤認の箇所は発見できないから、被告人須ケ間、同船坂、同田中、同近藤に対し公害罪法三条を、被告会社に対して同法四条を適用した原判決は正当である。従つて、本論旨は理由がない。

第二弁護人小林健治作成名義の控訴趣意書及び控訴趣意補充書(訂正)の論旨(理由不備又は理由のくいちがい、事実誤認)について

所論は要するに、被告会社四日市工場は、一方において、主にアエロジルを、副生産として次亜塩素酸ソーダを製造する工場であるとともに、他方液塩をタンクローリーから圧縮空気で貯蔵タンクに圧送し、またこれを気化器に送るまでの高圧ガス取締法所定の第一種製造業者の指定を受けているものであるところ、本件液塩受入れ作業は、第一種製造業者としての作業であつて、アエロジル製造工程に属しないことが明らかであるのに、

1原判決は、被告人須ケ間、同船坂の過失につき、一方においてアエロジル製造工程上の過失とし、他方において第一種高圧ガス製造上の過失としているのみならず、公害罪法三条の事業活動の母体につき、一方においてアエロジル製造工程とし、他方において第一種高圧ガス製造工程として異なつた認定をしているのであつて、判決理由にくいちがいがある、

2原審は、審理を尽くさず、第一種高圧ガス製造の業務とアエロジル製造業務の区別及び注意義務、責任の区別を明らかにすることなく、安易に本件過失を被告人須ケ間らのアエロジル製造業務上の過失として公害罪法三条を適用したことは審理不尽の結果、罪となるべき事実の認定、摘示に不備あるものといわざるを得ない、

3被告人須ケ間らの注意義務、過失責任を問うならば、第一種高圧ガス製造事業上の過誤とすべき筋合であるのに、アエロジル製造工程の作業上の過失とした原判決は、審理不尽に基づく重大な事実誤認を犯している、

というのである。

所論にかんがみ、原判決書及び前記第一の二において認定した事実に基づいて検討するに、原判決書は、被告人須ケ間につき、同被告人は、本件工場の「製造課長として、右アエロジル製造業務を掌理し、同課所属従業員を指揮、監督して同製造業務及びこれに付随する業務を遂行するとともに、製造課内における作業主任者、保安管理班長の職務を代行して高圧ガスによる危害を予防すべく、アエロジルの製造原料である液塩の受入れ取扱い等の保安に関する業務を統轄し、保安管理員等を指揮、監督し、未熟練従業員に対する保安安全教育を実施する職責を有するもの」と認定判示し、また被告人船坂についても、「同工場製造課係員として、製造課長の指揮、監督のもとに班長以下の製造課従業員を指揮、監督してアエロジル製造業務の一環である液塩受入れ作業等を遂行する現場作業の監督責任者であるとともに、保安管理員として、(中略)前記被告人須ケ間の指揮、監督のもとに、同課内の高圧ガスによる危害を予防すべく前記液塩の受入れ取扱い等の保安に関する業務を担当し、未熟練従業員に対する保安安全教育を行うべき職責を有するもの」と認定判示し、右被告人両名において、いずれもアエロジル製造業務と、第一種高圧ガス製造業務の二つの業務を遂行する職責を有するものと認定していることは、所論の指摘するとおりであるが、本理由中の前記第一の二において認定した事実によれば、原判決書の記載にも現れているように、液塩受入れ作業は、高圧ガスの第一種製造業者としての業務の一環であるとともに、アエロジル製造業務の準備工程の一部であると認められるから、原判決が右のように認定判示していることは、同一事件に関し、別異の業務あるいは別異の業務遂行上の過失を認定したものでないことが明らかであり、原判決の事実摘示に所論のような判決理由のくいちがいがあるとは認められず、また、前記第一の二において判示したとおり、液塩受入れ作業はアエロジル製造工程の準備工程の一部として本件工場の事業活動に属すると解される以上、本件過失を被告人須ケ間らのアエロジル製造業務上の過失と認定し、これに公害罪法三条を適用した原判決の認定判断はまことに相当であつて、これに所論のような事実誤認や、審理不尽による理由不備の違法があるとは到底認められない。従つて、本論旨もまた理由がない。

第三弁護人澤田降義、同杉浦酉太郎、同小林健治、同杉浦肇共同作成名義の控訴趣意書第二点(ただし、二の(4)の(二)の(4)を除く。)及び第三点並びに補充控訴趣意書第一点の二の1の(四)の(5)のイ及び第二点各記載の論旨(事実誤認等)について

一所論は多岐にわたるがこれを総合要約すれば、以下のとおりである。

1  被告人らの事前の注意義務と過失責任について

原判決は、「被告人らはいずれも被告会社の業務に関して、被告人須ケ間は、新入技術員で経験未熟者である被告人近藤を技術班の人手不足を補うために、実習を兼ねて同班に配置して液塩受入れ作業に従事させるにあたり、同作業を含む製造課の所管する作業全般を監督すべき立場にある製造課長として、また被告人船坂は、その際、液塩受入れ作業を担当する技術班を監督する立場にある係員として、いずれも被告人近藤がバルブ操作を誤るなどして事故を発生させることのないようにするため、同作業の経験者が常に右近藤の指導を行うこととするとともに、右作業経験者や近藤に対して、右作業経験者の直接指導、監視のもとにする以外には右近藤がバルブ操作をしないよう指示し、また、その指示が行われていることを監督するなどの同作業前及び同作業終了後における原判示各注意義務をそれぞれ怠つた過失により、また被告人田中は、液塩受入れ作業に直接従事した熟練技術員として経験未熟者である被告人近藤にバルブ操作を行わせるについて、的確安全なバルブ操作を行うよう直接具体的に指導、監視するなど必要な注意義務を怠つた過失により、さらに被告人近藤は、液塩受入れ作業について経験未熟者であつて、液塩受入れ作業に関連する各バルブの機能及び配管の状況についての知識はなく、未だ的確安全なバルブ操作をする能力を有しなかつたにもかかわらず、被告人田中の直接の指導、監視を受けることなく、安易に液塩受入れ作業終了手順の一部である二号タンク上のバルブ操作を単独で行つた結果、同タンクの液塩受入れバルブを閉塞すべきところを、誤つてパージ・バルブを開放し、両バルブを同時に開の状態においた過失により、同タンク内の液塩を同工場内のシール・ポット及び中和塔T・C・Aから塩素ガスとして工場外に排出させ、よつて付近住民等に対し危険を生じさせ、もつて原判示のとおり住民等に傷害を与えた」旨認定して公害罪法三条違反等の罪に問疑しているが、原判決は、右要旨引用部分中、各被告人の本件過失を構成する事実を認定した部分、及び同判決書中、その余の右に関連する事実を認定した部分において、以下に指摘する各点につき、事実の誤認が存する。とくに、被告人須ケ間、同船坂について、原判決は、「事業体の構成員として事業活動に携わる者が危険性を伴う業務を所管し、これの遂行につき責任を有し、且つ右業務に伴う危険の発生を予見し得る地位にあつて、客観点に右危険防止の措置を取り得る可能性を有する限り、その者が直接に右業務遂行に当る地位にあると、この者を監督し、これを介して右業務の遂行に当る地位にあると、更に右監督者を監督し、これらを介して右業務の遂行に当る地位にあるとを問わず、法律上当然に右危険を予見し、これの発生防止に適切有効な措置を取るべき業務上の注意義務が課せられるのであつて、もとより、その地位が業務の執行に対し間接的であることによつて危険防止のためにとるべき措置が間接的なものに限られるいわれもない」と判示した。即ち被告人須ケ間、同船坂は被告人近藤を技術班に配置し、危険な液塩受入れ作業に従事させ、被告人田中は右近藤とともに前記作業に従事したが、その際右被告人等はいずれも判示の如き注意義務を怠つた過失により本件事故を発生させたのであるから刑責を免れないというのであるが、この点をも含めて、原判決の本件過失の認定に関する事実誤認の点を指摘する。

(一) 被告人須ケ間が同船坂の要請によつて、右近藤を技術班に派遣することを決定したのは臨時の措置であり、右近藤に同班の雑用を兼ねて、実習見習をさせることを目的としたのであつて、右作業に従事させた事実は全くない。

(二) 四日市工場においては新入技術員の教育指導はかねて指導者と定めている熟練技術員に遂行させ、被告人須ケ間、同船坂は直接これに介入しないことが原則であつた。

(三) 同工場においては、被告人須ケ間、同船坂は近代企業経営上ラインに位置し、その職務権限の一部を委譲しているのであつて、右委譲した範囲を無視し、直接本件アエロジル製造業務及びこれに関連する業務に従事する現場技術員を、指揮監督することは許されない制度であつた。

(四) 被告人須ケ間、同船坂が同近藤に実習見習をさせた本件液塩受入れ作業につき、原判決は各所において、この作業が危険な作業である旨判示しているが、この作業は定型化されており、その実習(マン・ツー・マン教育)は決して危険を伴うものではなく、従つて被告人須ケ間、同船坂において同近藤の誤作業による危険事態発生を予見する可能性はなかつた。

(五) 右のほか原判決認定の本件過失と各被告人の各別の刑事責任について

(1) 被告人近藤について

原判決は、被告人近藤の過失について「前認定のような二号タンク上のバルブ状況からすれば初心者が操作すべきバルブを取り違える虞れのあることは明らかであるといつてよく、またバルブの廻転方向を誤つた点についても、なるほど我々の日常生活上取り扱うことのあるバルブ類は、これを閉める場合のハンドルの廻転方向が右(時計の針の廻転方向)のものが大部分ではあるが、反対にこれが左になつているものも存在し(このようなバルブ・ハンドルに手を触れる経験も生活上決して稀ではない)ていて、バルブの開閉する際のハンドルの廻転方向が一定しているとは必ずしもいえないし、日常生活上の経験から推し測れば、工場生活に日の浅い未熟者が単独でバルブ操作を行つたとすれば、その操作の際にハンドルの廻転方向を誤つたとしても決して奇異の出来事ではなく、寧ろ一般にあり得ることとこそ考えられるところで、被告人須ケ間らにおいてかかる事態が予見し得ないものであるとするのは相当でない」と認定している。しかしながら、被告人近藤の本件バルブの誤操作は、かつて前例のないものであり、かつ被告人須ケ間、同船坂、同田中にとつて予見できるものではなかつたところ、被告人近藤は必ずしも工場生活に日の浅い未熟者ではなく、同被告人の本件バルブの操作も同人は自己の体験によつて知悉している特定のバルブすなわち受入れバルブを閉塞することを意図し、被告人田中に対し「あつちのバルブをしめようか」と申し出、同田中が当該バルブを閉塞する操作を行うことを承認したものであり、しかもその際右近藤は受入れバルブとパージ・バルブを間違えて、パージ・バルブを開けたことは今以て知覚認識していない状態であつて、同人のこの心理状態を法律的に過失として評価することには疑問があり、かりに同人の行為を過失行為と見るにしても、それは同人の業務上の過失ではなくまた公害罪法に規定する「事業活動に伴つて」との要件に該当するものではない。さらに、同近藤の過失といわれるものは、同人が閉塞すべき受入れバルブを自分では閉塞しているとの意識の下に実際はこれを閉塞せずに別の開くべきでないパージ・バルブを開いたという二重の過失であり、まことに奇異の出来事であつて、被告人須ケ間、同船坂に対し、いかなる内容の注意義務も要求できない。

(2) 被告人田中について

原判決は、被告人田中の業務につき「技術班員羽多野正治と交替して、同日午後三時五分ごろから前記液塩受入れ作業に被告人近藤と共に従事したもの」とし同人の注意義務につき、「右近藤にこれ(バルブ操作)をさせる場合には、的確安全なバルブ操作を行うよう直接具体的に指導監視し、もつてバルブ操作による液塩の流失及び塩素ガスの排出による危険の発生を防止すべき業務上の注意義務がある」と判示しているが、被告人田中は、同近藤と共に本件液塩受入れ作業に従事したものではなく、同作業に従事したのは被告人田中一人で、同近藤は実習見習のためその場の見学をしていたものに過ぎず、また被告人田中は同近藤に受入れバルブを閉塞する能力のあることを信じて、右近藤の当該バルブを閉めようかとの申し出を承認したもので、右田中がかく信ずるにつきいささかの過失もない。従つて、被告人田中には、原判示のような注意義務もなく、右近藤が前記のような重畳的過失を犯すことについての予見可能性もない。

(3) 被告人須ケ間、同船坂について

右被告人両名において被告人近藤を技術班に派遣したのは臨時の措置であり、技術員羽多野の指導下に雑用に携わるとともに定常的作業につきマン・ツー・マン教育を受けさせることにあり、本件受入れ作業に従事させるためでなかつたこと、被告人須ケ間がラインの秩序により被告人近藤あるいは指導員羽多野に対し直接指示することはないこと、被告人船坂において羽多野が被告人近藤に対しマン・ツー・マン教育を施すことに何らの不安を感じていなかつたことは前記のとおりであり、従つて被告人近藤が本件の如き過失を犯すことは被告人須ケ間、同船坂の到底予見出来ないところであるから、これに対し事前に必要な措置を取るべき義務を求めることはできない。また被告人須ケ間、同船坂に一般的監督義務のあることを否定するものではないが、右監督義務違反を直ちに可罰的過失責任に結びつける試みは刑事過失を民事上の使用者責任に近づけるとともに、それが本来持つている筈の刑罰としての実質を空洞化させることになる。かりに被告人両名が、右の予見を抱いたとしても、それは漠然たる不安感に過ぎず、これに対し具体的な注意義務を負わしめることは法律論として一つの独断と考える。

(4) 被告会社について

前記のとおり、被告会社を除くその余の被告人全員について公害罪法の適用がなく、またかりに同法の適用があるとしても、被告会社を除く他の被告人全員に、前記の如く注意義務の存在を認めることができない以上、被告会社に刑責を認めることは不可能であり、加えて、被告人近藤は業務上ラインに位置し、四日市工場の組織活動をになうものでなく、而も本件事故は全く偶発的で、アエロジル製造工程に属しない準備段階に発生したもので「事業活動に伴つて」発生したものと認めることはできないから、いずれにしても、被告会社に本件刑責を負わせることはできない。

以上原判決中、被告人全員に関する過失、注意義務、あるいは被告人らの職務権限等を認定した部分には、右各指摘のような点において事実の誤認があり、また、本件過失の存否について、法令の解釈適用を誤つた違法があり、原判決は破棄せらるべきものである。

2  被告人須ケ間、同船坂の事後の注意義務と過失責任について

原判決は被告人須ケ間、同船坂の両名に対し、「右受入れ作業時において、被告人近藤の右バルブ操作によつて塩素ガスが継続して排出し、二号塩素タンク上のバルブを点検する必要が極めて大きかつたに拘らず、当初は右事故が液塩受入れ作業の終了時に起つたものであることを看過し、次いでは、同タンク等の安全弁に連結する配管(安全弁ライン)に霜が付着する現象が見られたことから右事故の原因を同タンク等の安全弁の異常作動によるものと速断して、右タンク上の受入れバルブ及びパージ・バルブの点検をすることなく時間を経過した過失」があつた旨、本件事故後の注意義務と過失責任を認定した。しかしながら、本件事故は被告人近藤が自らは受入れバルブを閉めている積りでいながら、現実には受入れバルブとパージ・バルブを取り違えたうえ、しかも閉まつていたパージ・バルブを開けるという了解不可能な行為によつて発生したものであるところ、被告人須ケ間は、事故発生後の初期においては、諸般の状況からみて液塩受入れ作業は終了していると思われたこと及び二号タンクの安全弁等に霜がついていたことあるいは関係者らの報告等から、本件塩素ガスの漏出は同安全弁の過充填による作動または異常作動に起因していると考えたが、前記のような本件事故の発生原因及び本件事故発生当時あるいはその後の状況からみて、同被告人がかく判断するのは当然であつたし、事故発生後被告人須ケ間は、製造課所属の係員、技術員等を指揮し、同船坂は自ら塩素室内に入るなどして状況を確かめ、各安全弁の閉止をはじめ、中和作業の施行等塩素ガスの流出を食い止めるために可能なかぎり最大限の努力をし、その後同日午後五時五分ころ被告人船坂が二号塩素タンク上の受入れバルブが全開となつていることを発見し、即時これを全閉し、午後六時二〇分ごろ塩素ガスの漏出を完全に停止せしめたものである。従つて原判決が、右被告人らに対し前記摘録のような事実を認定し、本件事故後における過失責任を認めたのは事実を誤認し過失責任に関する法令の解釈適用を誤つたものである。

所論は以上のとおり主張する。

二そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によれば、本理由第一の二の項において認定した事実のほか、次の事実が認められる。

1(一)  被告人須ケ間は、本件工場の製造課課長代理を経て昭和四八年一二月から製造課長として、前記製造課所属の従業員を指導、監督して同課の業務を遂行すると共に、高圧ガス取締法に基づく高圧ガス作業主任者(甲種化学)の事実上の代行者及び同法に基づき定められた高圧ガス危害予防規程による保安管理員兼保安管理班長の事実上の代行者として他の保安管理員を指揮し、液塩受入れ等に関する保安管理、保安安全教育の実施業務を遂行する職責を有していた。

(二)  被告人船坂は、昭和四九年四月一日から本件工場製造課係員として、A、B棟及び共通の各プラント並びに技術班を担当していたが、本件事故当時はこの外、出張中の堀係員の担当するC棟及び中和に関する職務を代行し、さらに業務中の事故によつて入院中の斉藤力雄班長に代り、交替班長の職務をも行つていた。また同被告人は、右危害予防規程上の保安管理員として、液塩受入れ等に関する保安管理、保安安全教育の実施業務を遂行する職責を有していた。

(三)  被告人田中は、昭和四五年四月以降本件工場製造課に勤務し、本件当時熟練技術員として交替班の賀川班に所属し、A、B棟係を担当していた。

(四)  被告人近藤は、本件に先立つ昭和四九年一月一六日以降本件工場製造課に勤務するようになつた新入技術員で、入社当初の数日間机上教育を受けた後、同課内の各職場において(交替班の船坂班で共通、中和、A、B棟の作業を約二〇日間、同賀川班で排水処理作業を約五日間、分析係で製品、排水、四塩化珪素の分折作業を二カ月余り)実習し、同年四月二六日から一時的に人手不足に陥つた技術班に応援兼実習の目的で配置されていた。

2本件工場においては、高校卒業程度の学歴を有する新人技術員に対しては、入社後数日間机上教育を施し、製造課長、係員等から、就業規則、アエロジル製造工程と作業標準、一般安全心得、安全規程、危険物とその取り扱い、救急法などについて、概括的な知識(塩素の取り扱いに関しては、塩素の特性、これを吸つた場合の応急措置、ガスマスクの装着方法等)を与えた後、現場実習として約三カ月交替班に配置して、各班、係毎に定められた指導担当の技術員のマン・ツー・マン方式による具体的指導のもとに、各種作業能力を習得させる実習教育がとられたが、右実習指導においては、作業方法、手順をまず体で覚え込ませることに重点が置かれていて、配管等の設備の状況、機能、作業方法を誤つた場合の危険性等の技術知識については、徐々に習得すべきものとされ、右机上教育及び実習教育以外に、危険を伴う作業を実習する際の心得については特段の教育はなされていなかつた。

3また、一般技術員に対する安全教育としては、毎月係員及び班長主催の安全懇談会(ただし、分折係や技術班には独自の安全懇談会はなかつた。)、安全環境課主催の総合安全懇談会が各一個開かれるほか、製造課長が主催する災害事例研究会が随時開かれるなどしていたが、右各懇談会は、概ね技術員からの設備等に関する改善意見とこれに対する工場側の回答がその主な内容であり、上司から安全な作業を遂行するための具体的指導がなされることはほとんどなかつた。製造課長主催の右研究会においても、具体的な安全教育は十分なされたとはいえなかつた。このようなことから、たとえば、液塩受入れ作業の終了手順について、受入れパイプの先端の受入れバルブと二号タンク上の受入れバルブのどちらを先に閉めるべきかについては各技術員によつてまちまちであるといつた状態が生じていた。また、未熟練者に対する危険性を伴う作業の指導についての心得も、全体として必ずしも十分に徹底していたとは言い難い。

4このような状況下において、被告人近藤は、前記のとおり、机上教育及び交替班と分折係における実習教育を受けたほかは、各種の安全教育等を受けておらず、入社当初読んでおくように言われていた作業標準集も読んでいなかつたため、液塩受入れ作業に関する知識も全くなく、塩素に関する知識も初歩的の域を出ていない状態において、前記のように技術班に配置されることになつた。

5技術班には、同年三月まで四名の技術員が配置されていたが、同四月からは内一名が転出したあとの補充がなく、同班配属の技術員は羽多野正治、安田康平、山中正光の三名となつていたところ、同班は交替班から応援を求められることが多く、また右安田は、係員堀秀高(C棟担当)外一名とともに同月二六日から新潟県長岡市へ出張することになり、また右山中は、同月三〇日、私事により欠勤することになつていたため、技術班は極めて手不足の状態になつていた。このため被告人須ケ間は、同月二五日係員会議において、分折係に配置されていた被告人近藤を応援のため技術班に派遣することを決定し、係員日間賀和夫に当日欠勤していた技術班担当の被告人船坂に対する伝達方を指示した。なお、右派遣は被告人須ケ間の内心の意思では、とりあえず臨時の措置とし、間もなく同班に正式に配置するつもりだつたと称するようであるが、本件各証拠を総合して考えると、右派遣が正式の配置であるのか、それとも臨時のものであるのかは、右係員会議出席者にとつても明確ではなく、被告人船坂は右決定を伝達された記憶がないという有様であり、この間の連絡体制が不十分であつたことが窺える。従つて、技術班員羽多野も右決定につき被告人須ケ間はもとより同班担当係員等管理者側からの直接の通知は何ら受けていなかつた。

6同月二六日被告人近藤は分析担当の係員である日間賀和夫の指示により技術班に出向いた。前記羽多野は、被告人近藤の技術班への配置を直接同人から聞かされて知り、被告人船坂は、同日被告人近藤が技術班に来たことも知らなかつた。同日午前中羽多野は被告人近藤を伴つて液塩受入れ作業に従事し、被告人近藤に対し具体的に指示して受入れ開始のバルブを開ける操作をさせたが、バルブの名称や機能及び作業上注意すべき点などについては教えなかつた。しかも、羽多野は途中で前記山中と右作業を交替したため、被告人近藤は、受入れ作業終了手順については指導を受けなかつた。

なお、被告人近藤は、同月二七日から二九日まで休暇であつた。

7同月三〇日、被告人船坂は前記被告人近藤の技術班への配置の事実を知らなかつたので、被告人須ケ間に応援派遣を求めてその了承を得た。従つて、被告人船坂は、右要請によつて被告人近藤が派遣されたものと思つていた。なお、その際被告人船坂は被告人須ケ間から被告人近藤の指導等の点について何等の注意、指示を受けていない。

(二) 被告人船坂は、本来A、B棟、共通の各プラント及び技術班を担当していたが、前記のとおりC棟及び中和担当の堀係員が出張のため、同係員の職務を代行し、また交替班の斉藤班長が同月二三日業務中の事故で負傷し、入院中であつたので、同班長の職務をも代行していた。このように、本件当時被告人船坂は、極めて多忙であつたため、液塩受入れ作業中にも塩素室を見回ることもない等技術班に対する監督がおろそかになつていたことは否めない。

(三) 同月三〇日、被告人船坂は、斉藤班長の代行として午前八時から午後三時までの交替班勤務についていたが、他方午前中からC棟に取り付けるパイプレーターの試運転と取付け作業の監督で時間を取られていた。午前一〇時ないし一一時頃技術班室において羽多野と被告人近藤がいるのを認め、同人らに当日の液塩受入れ作業は二号タンク内の液塩を減らさなければならないため、午後一時からにするように指示したが、その際特に羽多野を被告人近藤の指導者に指名したり、被告人近藤を右作業に立ち合わせるか否かの指示あるいは、立ち合わせる場合の具体的な注意、指示等は一切せず、また液塩受入れ作業中も、数度にわたり塩素室付近を通りながら、一度も同室に立ち寄ることすらなかつた。そのため、被告人船坂は、羽多野が液塩受入れ作業の途中で被告人田中と交替したことも知らなかつた。

(四) 同日午前中に、急に本件工場側と同工場の労働組合との団体交渉が午前三時から開かれることが決まつた関係で、同労働組合の書記長を勤めていた右羽多野は、午後一時から事務課員山本登と事務打ち合せを行うため、液塩受入れ作業開始を午後一時三〇分に延期することにつき電話で被告人船坂の了解を得た。(羽多野は、その検察官調書と原審公判廷における供述記載によれば、その際午後三時からの団体交渉の件も告げた旨述べているが、被告人船坂は右団体交渉の件は知らなかつたと一貫して供述している。)

(五) 右羽多野は、同日午後一時三〇分から、被告人近藤を伴つて液塩受入れ作業を開始し、同受入れ関係の各バルブを被告人近藤に指示して開かせた。その際も羽多野は被告人近藤に各バルブの名称等は教えていない。(羽多野は受入れバルブは教えたというが、被告人近藤はこれを否定しているから、少なくともその記憶に残らなかつたものと認められる。)右受入れ開始手順が終了すると、午後二時頃羽多野は被告人近藤を一人塩素室に残して分析用の純水を取りに隣接工場へ出かけ、三〇分位して塩素室に戻ると、二号タンク内圧が八キロ位とかなり上昇していたので、タンク内圧を下げるために、午後二時四〇分頃計器室ヘタンクのガス抜きを頼みに行つた。(その直後A、B棟係の技術員館均が塩素室に赴き、ガス抜きバルブを開いて塩素ガスをレシーバー・タンクに放出した。)その際計器室で羽多野は、一勤のB棟係の技術員中西昭治に対し、三時から液塩受入れ作業を交替してくれるよう頼んで了承を得た。羽多野は、午後三時少し前頃再び計器室へ行き、一、二勤の引き継ぎ中の右中西と被告人田中に対し、更に同様の趣旨の依頼をし、被告人近藤を塩素室に残して行く旨告げたが、近藤の指導に関する事項については何ら引き継ぎをしなかつた。羽多野は、右交替について被告人船坂の了解も得なかつた。

(六) B棟係の被告人田中は同日午後三時からの二勤であつたところ、午後二時五〇分頃一勤の中西昭治から、液塩受入れ中であること、合成塔を運転中で、二号タンクからレシーバー・タンクヘガス抜きをしていること等の引き継ぎを受けた後、賀川班長に告げて塩素室に赴き、各種計器を点検して、二号タンク内の液塩の量が約29.2トン、同タンク内圧が約七キロ、高圧空気圧が約九キロ、気化器の内圧が約5.7キロ、レシーバー・タンクの内圧が約5.4キロであることを確認し、午後三時二〇分頃右空気圧が約7.5キロに下がり、二号タンクの内圧が約八キロに上がつたことから、二号タンクが三〇トンの容量一杯になつたと判断し、タンクローリー運転手と連絡を取つて、高圧空気バルブを閉め、右運転手が「液の元を閉めてくれ。」というのに呼応して、受入れパイプ先端の受入れバルブを閉めようとしていたところ、同被告人の背後にいてそのパイプ操作を見ていた被告人近藤が、「あつちのバルブを閉めようか。」とバルブ操作の了承を求めたので、被告人田中は「おう閉めてくれ。」と何等の指示も与えることなくこれを了承した。被告人近藤は、二号タンク上のバルブ群に近付き、受入れ作業開始時に同人が開いた受入れバルブを閉めるつもりで、実際はこれと取り違えてその左側に隣接していた受入れパイプのパージ・バルブを左に回してこれを開いてしまつたが、同人はこの誤りに気付かず、さらに、被告人田中も前記高圧空気バルブ等の操作をしていてこれを全く監視していなかつたために、被告人近藤の右誤操作に気が付かなかつた。その直後、シール・ポットから塩素ガスが漏出し始め、高圧空気の導管を外していたタンクローリー運転手らがこれに気付いて、「漏れた。」と叫びながら避難したことから、被告人田中も、塩素ガスの漏出に気が付き、あわててB棟二階に逃げた。被告人近藤も、塩素ガスの臭気に気付いて、A棟に逃れた。

(七) 被告人須ケ間は、技術班に派遣した被告人近藤が、従来その成績及び積極性において十分でないこと、同日は技術班において熟練技術員が羽多野正治しかいない手薄な状態にあり、また被告人船坂も当時、前記のとおり殊に多忙な状況にあつて、その技術班に対する監督が行き届かない可能性があることを認識し得たのに、同月二六日はもとより、三〇日においても、特にこれに対する対策をとらず、被告人船坂に対して、被告人近藤の指導教育に関する一切の指導、注意を与えなかつたばかりか、特に同月三〇日の液塩受入れ作業中は右事情を知りながら塩素室の巡視もしなかつた。

8  塩素ガス漏出後の措置について

(一) 本件事故発生直後の午後三時三〇分頃、異常に気が付いた交替班班長賀川慶治はA棟の運転を停止した。当時団体交渉に臨んでいた交替班所属技術員石田喜造、同内田美智男、同斉藤愛正(いずれもC棟係)は、直ちにライフ・ゼム(酸素呼吸器)を着けて塩素室に入り、計器盤の各種スイッチを切り、レシーバー・タンク制御弁の前後にあるバルブ等、二号タンクの液塩使用バルブ及び気化器の液塩入口バルブを閉めた。

(二) 右内田は、同三時四〇分頃再度同室に入り、レシーバー・タンクの出口バルブ二か所を閉めた。

(三) 右石田は、同三時五〇分頃、再度同室に入り、前記液塩使用バルブ等を確認した後二号タンクの内圧(4.6キロ)を確認した。その際安全弁ラインに真白な霜が付着しているのを認めたので、同室から出た後、この事実及びタンクローリーの空気用導管が外されていて液塩受入れ作業が終了していると思われたことから、塩素ガス漏出の原因は安全弁にあるのではないかとの考えを周囲の者に話した。被告人須ケ間もこの頃その話を聞いており、同被告人をはじめその場にいた多くの者は、右の事実と既に受入れバルブが閉まつているとの誤つた先入観に影響されて、右安全弁原因説に大きく傾いていつた。(被告人須ケ間は、原審及び当審公判廷において、右石田から受入れバルブが閉まつていると聞いた旨述べているが、右は被告人須ケ間及び右石田の検察官に対する各供述調書並びに証人石田の原審公判廷における供述記載に照らして措信し得ない。)しかし、塩素タンク等の安全弁は、同年二月点検したばかりでその後何等異常は認められていなかつたし、客観的には前記7の(六)記載のとおり、液塩の過充填による安全弁作動の可能性が存しなかつたことは、被告人田中から事情を聴けば直ちに判明したはずであつた。前記技術員中西昭治はライフ・ゼムを着けて同室に入り、二号タンク上のガス抜きバルブを閉め、同人と交替して入室した前記館均もこれを確認した。

(四) 午後四時頃前記賀川班長は、被告人須ケ間の指示により合成塔、C棟の運転を停止させた。

(五) 午後四時一〇分頃、前記石田(三度目)は同室に入り、前記見解に基づき、二基の塩素タンクの安全弁の元バルブを閉めた。被告人船坂は、送風マスクを着けて同室に入り、液塩使用バルブと右安全弁の元バルブを確認した。係員日間賀和夫は、送風マスクを着けて同室に入り、右石田に頼まれた二号タンクの安全弁元バルブを確認し、さらに気化器の安全弁元バルブを閉めた。

(六) 事故発生直後から、他の技術員らはシール・ポットに生石炭や中和剤を投入して、塩素ガスの漏出を防ごうと懸命の努力をし、相当の成果を上げたが、右漏出を完全に防ぐことはできなかつた。塩素ガスは、事故直後シール・ポットとT・C・Aから大量に漏出したあと右のような措置によつて、少量がシール・ポットから出続ける状態が続いたが、同四時三〇分頃再びT・C・Aから相当の量の塩素ガスが排出され、この状態は徐々に減少しつつもしばらく続いた。

(七) 午後四時三〇分頃、外出中の西川技術次長が戻り、被告人須ケ間は前記の見解に基づき、安全弁が吹いたが、バルブはすべて閉めた旨報告した。それでも、T・C・Aやシール・ポットからの塩素ガス漏出は止まらなかつたので、被告人須ケ間は中和塔のブロワーを停止させた。

(八) 途中ライフ・ゼムの酸素ボンベを使い切つたため、塩素室の点検活動は中断したが、午後五時前後頃隣接工場から酸素ボンベが届き、その後午後五時二〇分ないし三〇分頃前記石田と被告人船坂が塩素室に入つた際、被告人船坂が本件受入れバルブが開いていることを発見し、すぐさまこれを閉めたため、ようやく午後六時二〇分頃右漏出は完全に停止した。

以上の事実が認められる。なお本件関連証拠中には、右認定と幾分抵触する部分が存するが、それらは枝葉の部分に属し、これを本件各証拠全体に照らして考察すれば、右認定は動かせない。

三よつて、右認定事実に基づき検討するに、結局のところ右事実によれば被告人らにつきそれぞれ原判示のような過失が存したことは優にこれを認めることができる。そこで、以下所論中、右被告人らの過失責任に関する各主張のうち主要な点について判断を加えながら、当裁判所の右被告人らの過失責任の存否に関する判断を示すこととする。

1  被告人近藤の本件行為の業務性及びその過失について

(一) 所論は、被告人近藤の本件行為には、業務性はなく、またそれは公害罪法三条の「事業活動に伴つて」の要件に該当しないと主張するが、本来ある事務の遂行が業務と言い得るためには、人がその社会的地位に基づき反復継続の意思のもとに行う行為であつて、かつ、同条及び刑法二一一条前段については、その行為が、他人の生命あるいは身体等に危害を加える虞があることを必要とするところ、右の地位は、当該事務を単独であるいは他から独立して行い得る地位である必要はなく、主たる事務担当者の補助者としてあるいはその者の指導、監視の下に行う場合もこれを当該執行者の業務というを妨げないと解すべきであるところ、前記認定事実によれば、被告人近藤は、技術班に対する応援兼実習見習として配置され、熟練技術員羽多野及び被告人田中の指導、監視の下に液塩受入れ作業に関与し、現実に自らバルブの開閉に当つたものであつて、右要件に欠けるところはないから、被告人近藤の右行為は業務上の行為であり、従つてまた公害罪法三条の「事業活動に伴つて」の要件に該当するものと認められる。被告人近藤は、実習見習であつて業務に従事したものではないという所論はいささか詭弁に類し、もとよりこれを採るを得ない。

(二) 次に所論は、被告人近藤には過失がないと主張するが、被告人近藤は、塩素の一般的性質とその危険性は知悉していたものの、液塩受入れ作業に関するバルブの名称、機能及び配管の状況についての知識がなく、未だ安全的確にバルブを操作する能力を有しなかつたから、バルブの操作等とくに前記液塩受入れ作業終了時のバルブの操作をする場合には、熟練技術員である被告人田中の直接の指導、監視の下に的確にバルブを操作し、もつてバルブの誤操作による危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前記認定のとおりバルブ操作中の被告人田中に対し、安易に自己においてバルブの操作をすることを申し出て、この承認を得るや、右田中の直接具体的な指導、監視を受けることなく、二号タンク上のバルブの操作を単独で行い、しかもバルブを取り違え、受入れバルブを閉めるべきところパージ・バルブを開いた過失により、原判決のとおり、四日市市南西部一帯の地域住民等の身体に対する危険を発生させるとともに、原判示被害者らに対し、各傷害を負わせたことは明らかである。

よつて、右いずれの点についても、右と同旨に出た原判決の認定判断は相当であつて、所論の主張は採用の限りではない。

2  被告人田中の過失について

所論は、本件事故について被告人田中には過失がないというが、被告人田中は、被告人近藤が、未だ同年一月から本件工場に勤務したばかりの見習中の技術員であり、液塩受入れ作業についても初心者であることを知悉していたうえ、被告人近藤の右作業に関する従前の実習状況等につき羽多野から具体的な引き継ぎを受けていなかつたとはいえ、同被告人の知識、能力を信頼すべき事情は何等存しなかつた以上、もとより、被告人田中に同近藤の本件バルブの誤操作についての予見可能性があつたことは後記3の(一)に判示するとおりであるから、被告人近藤にバルブの操作をさせる場合には、これを直接具体的に指導、監視し、もつてバルブの誤操作による本件の如き危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同人の前記申し出を漫然と承認し、直接指導、監視することなく同人にバルブ操作をさせ、よつて本件事故を発生させた過失があることは明白であつて、原判決の認定判断に誤りはなく、従つて、所論のこの点に関する主張も到底採用できない。

3  被告人須ケ間、同船坂の各過失について

(一)予見可能性について

所論は、右被告人両名及び同田中には、本件事故につき予見可能性がなかつたというが、前記認定の各事実及び原判決挙示の関係証拠に徴すると、被告人近藤の技術班への配置は応援兼実習見習の目的であつたにせよ、同人が熟練技術員の指導の下に液塩受入れ作業に関与することは当然に予定されていたと認められること、通常未熟者に対するマン・ツー・マン方式による実習教育は、実習者の技術習得の程度に応じた段階的な個人指導をするものであり、正しい指導が行われる限りかならずしも危険性が高いとはいえないが、ひとたびその指導方法を誤り、十分な技能知識を有しない者に対し、監視不十分な状態でバルブ操作等をさせるときは、バルブの誤操作をする危険があることは十分に予測できたと認められ、前記のごとく本件当日技術班における熟練技術員は前記羽多野一人であり、常に同人が付きつ切りで被告人近藤を指導し得る保証はなく、被告人船坂においても極めて多忙であつたため技術班に対する監督が行き届かない虞があつたこと等前記認定の具体的事情、これに加えるに前記に詳細に認定したような被告人近藤の配置に関する経緯等を考慮すれば、本件バルブ誤操作も、二号タンク上のバルブの配置状況及び被告人近藤の知識、能力からして、決して奇異という程のものではないと認められるから、被告人須ケ間、同船坂及び同田中において、本件事故につき予見可能性が存しなかつたとは言い得ない。なお所論は、本件工場においてはもとより、我が国の日常生活においてほとんどのバルブは、右に回せば閉、左に回せば開となるものであるから、被告人近藤の本件におけるバルブ操作のように受入れバルブを閉めるつもりでパージ・バルブを開く等ということは到底予想できないことであると主張するところ、原審及び当審で取り調べた証拠によれば右バルブの状況については概ね所論のとおりであると認められるが、被告人近藤のように液塩受入れ作業に全く不慣れである者にとつて、当然開いているものと思い込んでいたバルブと取り違えたため、別の閉まつている(従つて、それ以上右には回転しない)バルブを、その回転方向が客観的には目的と逆であることに気付かないまま、閉めるつもりで該バルブの回転可能な左方へ操作し、かえつてこれを開いてしまうという行動はとつさの場合有り得ることと考えられ、この点についての原判決の認定説示部分はその措辞において幾分妥当を欠く点が存するきらいはあるが、その結論において肯認できる。従つて、所論の右主張も採用できない。

(二)注意義務の存在について

所論は、被告人須ケ間においては、同工場のラインの秩序上技術班担当の係員である被告人船坂を飛び越えて同班の一般技術員や被告人近藤に対し、直接指示、命令することは原則として許されていなかつたことを理由として、被告人須ケ間に本件事故について注意義務がなかつた旨主張するが、前記認定事実を前提とし、なお、原判決挙示の関係証拠によれば、本件工場の採用するライン組織なるものは、ライン構成員に対する直接の命令権者が複数存在することによる混乱と非能率を避けるための組織原則であると認められるが、その原則運用の実情は前記のごとき被告人近藤の技術班への配置決定の伝達の仕方や羽多野の交替の状況に見られるように、かなり不徹底なものであつたと認められるばかりでなく、このような原則の存在を前提としても、例えば製造課長の技術班所属の技術員らを監督する権限が消滅していたとは認め難く、平常時においては、同課長が担当係員である被告人船坂を通じて技術班所属の技術員に対して指示、命令を与え、その遂行状況を常に監督するという形態で行使されているとみるべきものであり、とくに、かかる権限行使が困難な事態に立ち至つたときは、同課長は直接前記監督権に基づき技術員に対して指示、命令を与える権限と職責があることは明らかである。しかして、本件当時の状況を見ると、前記のとおり被告人船坂は、他の係員の出張や交替班班長の事故によつて、本来の職務以外に数々の職務を負担させられ、そのすべての職務を全うすることを容易に信頼することができない状態にあつたから、同人にこのような負担を命じた関係上右事情を知悉していた製造課長である被告人須ケ間としては、本件液塩受入れ作業に対する指導、監督を含む被告人船坂の職務遂行に手落ちがないように、同人に的確な指示、注意を与えるとともに、とりわけ当時手不足の状態にあつたため、未熟練者を応援のため配置しており、危険な液塩受入れ作業を行つていた技術班の状況については特段の注意を払うべき義務があつたと認めるのが相当であつて、所論のライン組織の原則をもつてしても、被告人須ケ間は原判決の摘示するような注意義務を免れることはできない。よつて、所論の右主張も採用の限りではない。

4  被告人須ケ間、同船坂の塩素ガス漏出後の過失について

所論は、本件塩素ガス漏出後における被告人須ケ間、同船坂の塩素ガス漏出阻止活動に過失はなかつた旨主張するが、前記二の1及び8において認定した関係事実によれば、被告人須ケ間は製造課長兼高圧ガス取締法に基づく高圧ガス作業主任者(甲種化学)の事実上の代行者及び同法に基づく高圧ガス危害予防規程上の保安管理班長の事実上の代行者として、本件事故直後当時、右塩素ガス漏出阻止活動について現場の最高責任者であり、被告人船坂は、A、B棟各プラント等及び技術班を担当する係員で、同法に基づく同規程上の保安管理員であり、かつ被告会社の定める「緊急事態発生時処置手順」(作業標準集の10参照)上の指揮者として、右漏出阻止につき責任ある立場にあり、それぞれ本件現場において右漏出阻止活動にあたつていたものであるが、右被告人両名はそれぞれ、当時の状況からみて液塩受入れ作業終了後のバルブの点検をなす義務があり、かつ本件漏出後は、同工場従業員を指揮して、これを阻止するため極力応急措置をとるとともに、液塩受入れ関係のバルブの点検を含めて、右漏出の原因を早期に究明し、根源的原因を除去すべき業務上の注意義務があるのに、右応急措置の点は概ね適切であつたと認められるものの、塩素室内の点検作業については、基本的に各従業員の自発的な行動に任せて、これを被告人らの指揮下に統一的に組織しなかつた結果、当日液塩受入れ作業に関与した前記羽多野、被告人田中、被告人近藤から同作業時の状況を詳しく聴取して検討することをせず、前記認定のような事故直後の現場や前叙のような先入観にとらわれて、同年二月頃点検したばかりで何等異常のなかつた安全弁の作動が原因であると速断したため、塩素室に入つた技術員らが二号タンク上の他のいくつかのバルブについては重ねて慎重に点検しながら、本件受入れバルブやパージ・バルブについてはその点検が遅延し、その漏出を早期に阻止することができなかつた過失があると認められる。そして、事故発生直後の漏出量に比較すれば、その後に漏出した量は少ないとはいえ、これらが全体として四日市市南西部一帯の地域住民等の身体に危険を生じさせたことは否定し得ない。従つて、右被告人両名につき、右と同旨の過失を認定した原判決の認定判断は正当である。よつて所論の右主張は採用することができない。

以上、本論点に関する各所論について検討したが、右各所論は何れも採用し難く、その他の所論について記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌してつぶさに検討しても、右被告人四名の本件過失責任の存在を否定すべき論拠は発見できない。従つて、右被告人四名につき、前記1ないし4の項において随時認定したような注意義務及びこれが懈怠、ひいては結果の発生があつたことは自ら明らかであり、右被告人四名に前記情況の下に前記過失及び結果の発生があつた以上被告会社においても本件過失責任を負担することは当然である。この見地に立つて原判決書を仔細に検討すれば、原判決は、被告人らの過失責任を認めた結論において当裁判所の判断と同一であり、また、それに至る事実の認定においても当裁判所の前示認定事実とほぼ同様であつて、とくに事実を誤認した箇所を発見できない。従つて、本論旨もすべて理由がない。

第四弁護人澤田隆義、同杉浦酉太郎、同小林健治、同杉浦肇共同作成名義の控訴趣意書第二点の二の(4)の(二)の(4)の論旨(理由のくいちがい等)について

所論は要するに、原判決は、検察官が、起訴状、冒頭陳述書、訴因変更請求書において、被告人須ケ間は、被告人近藤を技術班に配置し、被告人須ケ間、同船坂は、被告人近藤を液塩受入れ作業に従事させた旨主張しているのに、その論告において突然、被告人須ケ間が、本件事故直前の四月二五日の係員会議の時から、同近藤が液塩受入れ作業に関与してバルブ操作を行うかもしれないことを十分予見し得た旨主張するに至つた。原判決はこの論告と軌を一にし、「弁護人の主張に対する判断」において、被告人近藤が、漫然と技術班へ配置されれば、先輩技術員らと共に液塩受入れ作業に従事することになり、先輩の指導、監視が、行き届かず、同被告人が単独でバルブ操作を行い、これを誤操作する可能性が十分存在し、被告人須ケ間、同船坂においても、このような事態の発生は当然予見可能であり、予見義務もあつた旨判示して、不作為的過失を認定している。しかし他方、原判決は「罪となるべき事実」においては、「右近藤を技術班に配置して液塩受入れ作業に従事させるに当つては、」とかこれに従事させたとか認定して作為的過失を認定している。原判決のこの二つの認定は背理であり、右は起訴しない事実を認定しているか、あるいは判決理由のくいちがいであるとも思料される、というのである。

よつて、所論にかんがみ、原判決書を検討するに、その「罪となるべき事実」においては、被告人須ケ間、同船坂の過失の項において、当時の技術班及び被告人船坂の状況、被告人近藤の知識及び作業能力、本件バルブの状況等を認定したうえ、「右近藤を技術班に配置して液塩受入れ作業に従事させるに当つて」の注意義務を認定し、右被告人両名においていずれもこれを怠り、「漫然右近藤を技術班に配置して前記液塩受入れ作業に従事させ、」バルブを誤操作させるに至らせた旨認定し、その「弁護人の主張に対する判断」の項においては、右被告人両名における右バルブ誤操作に対する予見可能性についての判断を示したなかで、「当時の状況においては、未熟練技術員である被告人近藤が漫然と技術班へ配置されれば、先輩技術員らと共に液塩受入れ作業にも従事することになり、右の場合にも、先輩技術員の指導、監視が十分行き届かず、同被告人において本件のように単独でバルブ操作を行い、その結果これを誤操作するに至ることの可能性は十分存在し、」右被告人両名においてもこれを当然予見することができたし予見すべきであつたと認定していることは判文上明らかである。しかしながら、原判決書を虚心に精読すれば、所論摘示の、右二か所の認定判断の間にはなんら所論のごとき矛盾や理由のくいちがいがないことは自ら明らかであり、また、本件起訴状及び訴因変更請求書の記載と対比してみても、原判決が起訴しない事実を認定したものとも認められない。従つて、原判決に所論のような違法があるとは到底言えない。本論旨も理由がない。

よつて、本件各控訴はいずれもその理由がないから、各刑事訴訟法三九六条に則り、これらを棄却し、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項本文、一八二条に従い、共犯に準じ、これを全部被告人五名の連帯負担とすることとして、主文のとおり判決する。

(杉田寛 土川孝二 虎井寧夫)

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